夫が出会い系で浮気してた

子あり四十路女。若い女の子に目がない夫と冷めた生活を継続中。

11キロ減で肩が出現

長らく肉に埋もれていた肩が出現した。鏡を見て、あ、肩だ、と思った。

ダイエット開始してから11キロ減。体重は月に2キロ、体脂肪率は月に1パーセントのペースでじわじわと減量している。とはいえ、ゴールはまだ先。美容体重にはあとマイナス9キロ、適正体重にはあとマイナス4キロ。できれば美容体重を目指したいけど、適正体重になったあたりで運動をもっと増やさないと届かないかも。

適正体重になったらMサイズの服が着られるのだろうか。今現在ぴったりなのがLサイズなことを思うと、2ヶ月後、順調に4キロ減ったところでMサイズはまだきつそう。というと、やはり目指すところは美容体重か。

肩以外に減量を実感するところ。頭皮。髪を洗うときに毎日さわって気づく。明らかに脂肪が減っている。頭皮のしたの頭蓋骨までが前よりも近い。あとは下半身。LLサイズのズボン(パンツと言えないクラスタ)をはくとゆるゆる。おしりもブカブカでシワっぽくなってかなりカッコ悪いことになっている。しかし買い換えるのはMサイズと決めているからまだ我慢する。

40歳がツイキャスの若者をみて思うこと

ツイキャスをここ一週間くらい見てみて、十代半ばから二十歳そこそこの利用者が圧倒的に多いことはわかった。そもそもネットでは顔は隠すもの、としてきた私からするとネイティブスマホ世代は異次元すぎた。

あと気づいたのが、ツイキャスって配信者と視聴者の垣根がほとんどない。スマホさえあればどっちも簡単にできるから、配信者が視聴者でもあり、視聴者が配信者でもあることがとても多い。それがなにを意味するかというと「ROMでだんまり」もしくは「ツイキャスTwitterで自己アピールをしない人」はほぼ透明な存在として扱われる、ということ。ニコ生のコメントはデフォルトで名無しなことを考えると、TwiCasはそれよりSNS化した動画配信サイトなんだと思う。

そんなツイキャスを最近みていたのだけど、中年にはきつかった。ことあるごとに世代間のギャップと自分の年齢を再認識させられる。さらにこんなこと言うとさらにババア感が増すけれど、漢字読めなさすぎ。とある配信で、すごく美人で見とれてたらコメント欄の「訴訟」が読めなくて、誰かが読み方を教えても「そしょう、ってなに?」と言っていたのに衝撃を受けた。そりゃ、言葉をたくさん知ってる若者だっているだろうけど、そういうひとはあまりツイキャスでは配信していないのか配信タグに「漢字弱者」なんてものまであったりして、本どころかブログ文化も先細りなことをしみじみと感じた。

moi! ツイキャス主の本 3 (エンターブレインムック)

本とか出てるんだ……。私もあと20年ほど若ければ配信してみたかったわ。

シミだらけの顔のでかいおばさん

シミはね、わかる。色素沈着。まー仕方がない。顔じゅうに増殖したシミ。コンシーラーでひとつひとつ隠すのもだんだんしんどくなってきた。メラノCCはまだ効かない。

わからないのは顔のでかさよ。

明らかに伸びてる。体重が増えたぶんは、まあわかる。でもそれだと全体的に丸くなるよね。ここ5ヶ月のダイエットで10キロ減らしたから、肉っぽさは減りつつあるのよ。でも、縦に伸びてる感はなおらない。なんなのこれ。重力に負けてるの?

ほんと、容赦なく、どんどん醜さが増していく。外見がだめなら内面をみがけばいいとか思うと宗教にすがりたくなりそうで危険。

the ultimate collection

この腐敗した世界、というよりも自分と周りだけが朽ちていく。

我が精神の停滞

もう若くないという現実にじわじわと打ちのめされてる。消えない毒みたいに。なおらない病のように。生きている限りずっとこれがひどくなっていくのは明白で、そう思うと暗澹とした気持ちになる。

若い時分には、「若くていいねぇ」と言ってくる年配者の気持ちがわからなかった。でも今はわかる。もう二度と手に入らない、だけど確かに昔は自分にあったもの、それがとても眩しくて仕方がない。だからつい口にしてしまうのだろう。若いというのはそれだけで素晴らしいことだなんて。

だけど、よくよく考えてみる。いまの私が眩しくてしょうがないのは肉体的な「若さ」だけなのだ。たとえば記憶そのままに時間を巻き戻すことができたとして、若い頃に戻ったら、とにかくお金がないことに絶望してしまうだろう。お金がなくてつらかったあの頃。いまみたいにネットもなかったあの頃に楽しく生きる術は、いまの私にもわからない。

それでは見た目を若くすればいいかというと、それもちがう。いくら若く見えても、四十年生きてきたという事実は変えられない。なにもかもがちぐはぐだ。

 

こんなことをつらつら考える羽目になったのは、夜眠れなくてツイキャスというのを見てみたからである。ツイキャスはおそろしい。ほとんどが十代前半。二十そこそこで「大人っぽい」などと評される世界。そんななかに四十の私が紛れ込むなんて無理すぎるのだ。その子らの親でもおかしくない年齢で、一緒に楽しむなんてもってのほか。完全に若者の文化だと感じた。

では同世代の人とつるめばいいのかっていうと、それも私の精神が未熟ゆえ無理であった。行き場がない。やはり三十くらいで去っておけばよかった。三十でも、生きすぎたと感じていたくらいだった。人生とは。

バァバ・イズ・ノット・ババァ

風邪が治ったらリバウンドするに違いないと予想していたのが当たりつつある…嫌だーーー。それでも、月単位で見れば先月の今頃よりは2キロ減ってるからいいよね?体脂肪も右肩下がりだから、セーフよね?そう思いたい。そう思わなきゃやってらんない。じわじわ増えていって嬉しい数字なんて子供の体重と貯金くらいだよ。私はもう体重も年齢も十分だよ…。

 

最近とても悪い癖がついた。それは「流し読み」。きっかけは少し前に借りた本。すっごく、つまらないの。なんで借りたのか思い出せないんだけど、ものすごくつまらなくて、でも話の展開だけは見届けようと思って普段しないような流し読みをした。会話のところだけささーっと読んで。その他は大事そうなところだけを拾い読み。もはや「読書」とは言えないレベル。一語一句を噛み締めながら読むのが「読書」だと思っていた私にとっては禁断の果実を口にしてしまったようなもの。それ以降の読書が明らかに変わった。少しでも退屈だなと思ったらつい流し読みしてしまう。流し読みすらせずに中断してしまうことも増えた。なんだか、よくない兆候。日に日に偏屈ババアへの階段をあがっている気がする。

どうでもいいけど、祖母を「ばぁば」と表記してあるのをみると「ばばぁ」と読んでしまって己の汚れた心を実感する。

リバウンドとブルゾンちえみ

ここ一週間、体調不良につき運動できず食事も糖質が高いスポーツドリンク(スポーツしてないのに)や菓子パンなどを補給するありさまで、ダイエットは完全に休止。そんな状況で体重計にのるのは恐怖ながらも、毎日計っている。するとどうだろう。リバウンド待ったなしかと思われた体重は、意外なことに減り続けている。てっきり、これまでつけてきた筋肉が分解されて脂肪になってしまったのだろうかと思いきや、体脂肪率も下がりつつある。しかし体感的にはプヨプヨしてきている実感があるので、体調が戻ってダイエット(運動)を再開する頃には体重が増えるのではないかと予想する。

どこかのブログで、ブルゾンちえみがあれだけ過酷なマラソン(有酸素運動)を1日かけてしたにもかかわらず体重は全く減らなかったことに関しての記事を目にした。それによると、人間のからだには「戻ろう」とする性質があるので、いきなりイレギュラーな激しい運動をしたところで身体はなるべく栄養を取り込んで脂肪をもとに戻そうとするらしい。それを読んですごく納得したおぼえがある。無理なダイエットというのは、やはり「無理」なのだ。無理したぶんだけ身体は元に戻ろうとする。それどころか、もっと脂肪をたくわえて危機に備えようとする。だから運動は習慣化しないと意味がないのだなぁと決意を新たにしたところでこの体調不良。はよなおってくれ。

継続できない

続けることが苦手。仕事も。趣味も。人間関係も。

人と良好な関係を築けないから場当たり的な付き合いしかできないし、その場所からはなれたら途端に連絡も取らなくなる。

齢四十を過ぎてあらためて人生を振り返ってみると、実りの少なさにがく然とする。出会いという宝物を無造作に扱ってきた罰なのだと思う。結局、あのときしに損なってしまったけどそこから生きてきた意味って皆無に等しい。今、なにもかも手放すことができたらと妄想する。そうしたらひとりでもっと深い闇に沈んでいくのに。

生きづらさは年々ひどくなる。すべてが他の星の出来事のように遠く感じる。動かしかたがわからない機械にのって日々のあらゆることをやらなくてはいけない恐怖。違和感だらけなのに他所の感情だけはダイレクトに流れ込んでくる。私にはそれに対処する術がわからない。