夫が出会い系で浮気してた

子あり四十路女。若い女の子に目がない夫と冷めた生活を継続中。

続かないのが幸いだった

ホルモンバランスのせいで、とつぜんなにかに熱中しては冷める、というのを毎月くりかえしている。

今回のは飲酒。

一週間くらい毎晩強いお酒を飲み続けてしんだように眠っては夜中に目覚めて吐き気と戦っていた。飲んでいたのはラム酒。牛乳や炭酸水で割って浴びるように飲んだ。ストロングゼロだったなら空き缶がわかりやすく増えるので罪悪感がより増したかもしれない。しかしこのままではアル中まっしぐら、と危機感をおぼえたあたりで雲が晴れたようにアルコールへの欲望がすっかりなくなってしまった。ホルモンバランスのおかげというか、しわざというか、持続しないことで救われた例だった。

PMSあるいはホルモンバランスによってわたしの心身があやつられている気がする。大きな波がおそってきてなすすべもなく流されるように人生はすすむ。

人生つらいから楽になる薬がほしい

人それぞれ生まれ持ったパラメータや環境がちがうから、もっとひどい状況を耐えられたとか打破できたとか関係ない。夫のことも子供のことももうなにも考えたくない。自分のことも全部捨てたい。明日からあなたは全く新しい生です、もしくはここで行き止まりです、はいおしまいということならよろこんで受け入れたい。もうなにも考えたくないのだ。ただ漫然と毎日を送って生きていけるならそれでいい。だけどちょっと耐えられない。夫のこととか、子供のこととか、人生のこととか。

独身で借金を重ねていた頃と気持ち的には変わらない。真綿で首をしめられるってこういうことをいうのか。この先明るい未来がなにも見えない。

だけどテレビもネットも輝いているひとばかりが目にうつる。みんな悩みながら、人と関わりをもちながら、影響を与えながら懸命にもがいている。美しい。そんな姿を見ると胸をうたれる。一方、わたしはただできるだけ先送りにしながら色々な面倒なことを見ないふりしているだけ。

もうLINEのグループ会話もみたくない。わたしはそこに入り込めない。認知すらされていない。当然だ。なるべく存在感を消してきた結果だもの。通知もきりたいくらい。子供のこと、夫のことでわたしの人間性はどんどん失わざるを得ないような気持ちになるのはなぜだ。望んでいないことを許容したくない。ただ心がせまいだけかな。

着やせ効果

週末に立ち寄ったお店で、ちょっと良さげな服を見つけた。眺めてたら店員がちょっとずつ間合いを詰めてきて他の色なども見せてくれたのだけど、そこで放たれた何気ない言葉にスッと冷めてしまった。

『このデザインだと着やせ効果もあります』ってひとこと。

あー、着やせ効果を求めてる客に見えるんだろうな私。そう思って目が覚めた。

確かに太いもの。自分的には『痩せてきているデブ』。だけど、端からみたらただのデブ。13kgやせたといっても、その前に20kgふえてるわけだから、増量分がまだ7kgも残ってる。

大体、着やせ効果を切実に欲しがったのはLサイズの服がはいらなくなりはじめた体重MAX値の頃だ。服がピチピチになって丈は短くなるし、首の辺りは苦しいし、お腹や背中がはみ出るし、最終的にはマツコデラックスみたいなとにかく大きくてテロンとした布に穴をあけてそこから頭だけ出すような服を着るしかないんじゃないかと真剣に考え始めた頃。

 

とにかく、店員のひとことで客観的に体型を見つめ直すきっかけになった。食事制限と運動を地道に継続していこうと思う。

大デブ中デブ

家の体重計が叩き出す『身体年齢』、買ってからずっと57歳くらいで壊れてるんじゃないのかと疑っていたけど、今日はじめて42歳と出て感動した。まだ実年齢よりプラスだけど私にしては快挙。

ダイエット開始から13キロ減って、第一目標値には近づきつつある。大デブから中デブになった実感がある。現在の体重はちょうど自分史において七年ほど前、Mサイズの服がまったく着れなくなってLサイズに移行した頃の数値。それまで着てたカーディガンの前ボタンをしめることができなくて常に全開だったなぁとか、欲しいと思った服のLサイズが見当たらなくてあきらめたことが思い出される。

とにかくMサイズになりたい。その願望を強く抱いていれば、ダイエットはまだまだ続けられる。洋服を買うときにいちいち袖まわりの太さとか伸びる素材であるかとか気にしたくない。ウェスト部分がゴムだとか、体型カバーできそうだとか、そんなのも考えたくない。Sサイズはこれまで未経験だからそもそも目指せる気がしない。Mサイズでいい。地道にそこを目指す。

 

タニタ 体組成計 BC-705N-WH(ホワイト) 乗るピタ機能で簡単測定

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芸能人が声をあてること

ドラゴンクエストライバルズをプレイしてみた。手持ちのカードからランダムにひいてリーダーを守りながら対戦するゲームアプリ。ひととおりチュートリアルは終えたものの、フリーマッチの対人で負けまくり、トレーニングに戻るも対AIで負けまくり、私どれだけ馬鹿なのだろかと思うほどむいてない。

リーダーはあらかじめ用意された職業から自由に選ぶことができる。魔法使いゼシカとか、僧侶ククールとか、道具使いトルネコとか。ドラクエシリーズでおなじみのキャラクター達。私は昔のドラクエをやっていないのでよく知らない。なので、リーダーもなんとなく選んでプレイ。なんとなく見た目がかわいいから、アリーナ姫(武道家)で進めようとした。

しかし、大きな壁にぶち当たる。

リーダーって、しゃべるんだよね。声つきなの。アリーナ姫(中川翔子)の声がいただけない。

厳密にいえば、声そのものは悪くないよ?なんだろう、滑舌?表現力?いちいち違和感があるんだよ。プロの声優のなかに素人が混ざってます感が拭えない。

芸能人が声あてるのは別に反対しないよ。ただ、声優の訓練なり、舞台経験なり、ある程度のラインはクリアしてからあててほしい。唐沢寿明(ウッディー)とか、大泉洋レイトン教授)なんかは、すごく良いし。そういえばホマキも上手かった。

一度気になりだすと、アリーナ姫がしゃべるたびにイラッとするようになってしまって。姫をつかうのはやめた。ゲーム自体は難しいけど、頭の体操だと思ってもうちょっとやってみる。

シン・ゴジラが呼び起こすもの

シン・ゴジラの地上波はスルーした。映画館で見て腹が立ったもので。

平たく言うなら3.11を追体験させられたのが不快だった。あの絶望。なすすべもない無力感。不安。不信。あの日突然訪れたどうしようもない大災害の記憶は自分のなかではまだ『未処理』に分類されている。それを取り出して加工するのがこわい。

映画では勇敢な人間たちがゴジラという大災害と向きあい、協力しあって知恵を絞り、最終的には『そういう行動ができる人間の素晴らしさ』みたいなのが残る。凍結されたまがまがしいゴジラは今にも動き出しそうで不気味だけど、いつ起きてもおかしくない点では大地震原発も同じ。

もし、3.11を経験してなかったらフィクションとして楽しめたかもしれない。順序が逆だけど、これシン・ゴジラで見たやつだ!となったのかも。

3.11のとき。

水は止まったけど、電気は使うことができた。だからネットで水が配られる場所の情報を探した。ガソリンがどこで入れられるか、再開しはじめたスーパーや銭湯はどこか。ローカルな情報を手に入れるためにSNSがとても役に立った。

その頃はまだミクシィも使ってたけど、よく見てたのはTwitter。だけど自分のTwitterはリアルとはほとんど紐付けてなかったから、フォローに地元の人は少なく、タイムラインは地震なんて起きていないような日常のツイートばかりだった。それを見て隔たりを感じたのを強くおぼえている。地震云々というより、これが人生かなと思った。わたしがしぬときも、とても近しい人を除いてそこにはただ日常があるだけ。

シン・ゴジラに話を戻すと、3.11と大きく異なる点は東京が真っ先に狙われたところ。それによって日本の首都機能はボロボロになり、大企業の本社ビルも軒並み破壊され、電車は玩具のようにゴジラに突っこみバラバラになった。

それを『楽しく見れる』というのは幸せなことだと思う。これがもしゴジラ宮城県沖から現れて大津波からの福島第一原発と融合して大爆発、だったらまったく楽しめそうにない。

 

今週のお題「芸術の秋」

シン・ゴジラ

 

監獄姫の誘惑

クドカンのドラマ(監獄姫)を見ていると、彼女らの自由さにどうしようもなく惹かれてしまう。

むかつく夫も子供も幼稚園の行事も親戚とも関係なく過ごせるって、すげーいいじゃん!!と思ってしまう。実際には、きっとものすごく寒かったり臭かったりするんだろう。そう思わないとうっかり監獄コースに足を踏み入れてしまいそうだ。生理用品とかも満足に使えるのか不安だし。

最近は別に食欲もないし、希望もないし、ただただ人生をやり過ごしてる。

キジマカナエの監獄ブログも一時期見てたなー。字が、おそろしいほど整ってるのよね。あんな風にていねいに、ユーモアを交えながらかしずかれたらコロッといかない男性のほうがきっとすくないと思う。