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四十路になったおいわいに

女が四十をむかえるとき。それはなにかのおわりでもあり、はじまりでもある。

お先真っ暗。

月に一度の、何もかもつまらない時期が来てしまった。

見聞きするものすべてがイライラを刺激する。

すごく耳触りのいい言葉だけを並べてるのをみて「偽善者」とか、やたら「アウトプットとは」などと言っている意識高い系のブロガーにイラッとしたりとか。

きらいなものを語るより、すきなものへの熱い思いをつづったほうがきっと読んでもらえるし、ニコニコしている人の周りには自然と人が集まってくる。

そう思ってはいても、自分とはちがう人種なのだ、だから自分にはそういうことはできないのだとそもそもやる気さえおきない。

ごくたまに、いままでの不義理を取り戻そうと真人間を目指してみるなどするが、あまりにぎこちない貼りつけたような笑みは誰にも何ももたらさず、敬遠されるのみ。

 

こんな時期には一人で別荘にでもこもりたい。

別荘もないし、そんなことをホイホイと許されるような状況ではないけど。

夫が家にいると息がつまる。

夫はそうではないのだろうか。

わたしがいないほうが、子どもと濃密な時間を好きなように過ごせることはないのだろうか。すくなくとも、わたしはそうなんだけど。

夫がいないほうが子どもと二人でのびのびと過ごせる。

だからもし夫が1週間ほどひとりで別荘にこもりたいんだけど、と言ったら、経済的に責任をとってくれるならどうぞどうぞとよろこんで送り出したい。

夫が家にずっといると、わたしと子どもとの関わり方を常にチェックされるし、子どもの世話を押し付けてくるのが我慢ならない。

夫と子供で遊んでいても、「ほら、これ上手にできたからママにみせてきてごらん」などといってわざわざこちらへ子どもを押しやる。

ばっかじゃねーの、と思う。二人で遊んでるんだから二人で会話してくれよ。

 

誰ともしゃべりたくない。

そもそも声を出すことすらしたくない。

だから子供の呼びかけに対して返事もしたくない。

返事をしているのに何度も同じことを言ってくるのも我慢がならない。

 

子育てがこんなにつらいなんて知らなかった。

もしわかっていたならば、子どもを持たず、なんなら離婚もしていただろう。

なにを夢見ていたのか。

一体どうなりたかったのか。

子どもを産んだだけで「お母さん」という肩書を得て、クラスチェンジできるとでも思っていたのだろうか。私は。

 

ひとりきりの思考にふけることができないのが何よりつらい。

子どもを産んでから、わたしの脳の40パーセントくらいは常に子育てのことで占領されている。そのパラメーターをどうにかいじろうとしても、どうにもならない。むしろことあるごとにその数値が跳ね上がり、頭がパンクしそうになる。

 

だからといって同じ、「母親」という肩書だけが共通するひとと話をするのもつらい。

話せば話すほど『うちとはちがう…』となり、同調していた気持ちがどんどん薄れて孤独が強まる。

 

ある日夫がなにかの宗教にでも目覚めて、わたしは全くそれにそぐわないどころか教義の禁忌を破ったかなにかして、夫がわたしだけを捨てて子どもを連れてどこかへ行ってくれないだろうか。そんなことを夢想する。

もしくは、わたしがどこかへ行ってしまえば、夫は子どもと二人で暮らすにあたって夫の母を頼らざるを得なくなり、義母は面倒見がいいから子どものことも可愛がってくれるだろう。そんなことも考える。

しかし子どもはわたしのことを「大好き」だと言う。わたしがなるべく夫に育児をさせようとはなれればはなれるほど、分離不安がつのるのかやたらとくっついてくる。そんな子に、わたしがただ一人になりたいからと言って出ていくなどして心の傷をわざわざ負わせることはできない。はー、はやく時間が経たないかな。はやく成人しないかな。ニートになってすねかじりばかりされたらという不安もなくはないが、大人といわずとも、多感な時期になれば母親なんて近寄るのもいやになるだろう。