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四十路になったおいわいに

女が四十をむかえるとき。それはなにかのおわりでもあり、はじまりでもある。

私が煙草を一切吸わなくなった理由

私が煙草を初めて吸ったのは22歳くらいのときで、きっかけは夜のアルバイトを始めたら周りの女の子がほとんど煙草を吸っていたからだった。そのバイトで接客スキルの低さを痛感し、昼の仕事に切り替えてからも喫煙の習慣はゆるく続いていた。二十本入りの煙草一箱を四日くらいかけて消費していた。

三十歳手前になって煙草を買うのをやめた。借金がかさんで返済がままならなくなり、任意整理をした頃だった。生活とお金の使い方をあらためると同時に、煙草もやめた。煙草のにおいに敏感になったこと以外はとくに禁断症状らしきものは出なかった。

それからはしばらく煙草と無縁の生活をおくった。結婚相手は非喫煙者で、子供も生まれた。妊娠や出産より、赤子の世話がとにかく想像を絶するものだった。何しろ自由がない。母親は赤子の手足となり脳となりすべてを捧げなくてはならない。

身動きできないほどの不自由さのなかで、私はふと「煙草が吸いたい」と思った。健康に悪い煙を敢えて体内に取り込むことが、自由の象徴のように感じた。

しかし赤子と一緒にいながら煙草を吸うわけにはいかない。自由のために投げ出すのは私ひとりの身体だけで十分だ。とはいえ、つねに赤子と一緒にいる以上、喫煙どころか煙草とライターを買いに行くチャンスもなかなか無かった。

ひそかな渇望を抱え続けたある日、大きなチャンスがめぐってきた。

夫が赤子を連れて父子で出掛けることになったのだ。少なくとも一時間半ほどは帰ってこない。

私はよろこび勇んで、自転車をこいでコンビニへと駆け込んだ。看板には「たばこ」の三文字。店外にはベンチと灰皿が設置してあることが下見でわかっていた。

手頃なライターと、軽そうな煙草を購入した。こんなにうれしそうに煙草を買う人間はまれだろう。そのくらい、頬がゆるんでいるのが自分でもわかった。

そして店の外に出て、実に何年ぶりかの一連の動作をした。毒とわかる空気が喉から肺にしみわたっていった。久しぶりに自由を感じた。灰が少し膝に落ちた。指がすこし震えていた。一本吸い終えて、もう一本に火をつけた。二本目を吸っているときには身体じゅうが懐かしいだるさに支配されていた。

まだたくさん残っている煙草とライターの処分に悩んだが、まとめてコンビニの袋に入れて口をぎゅうぎゅうに縛り、バッグの奥底にしまいこんだ。夫にも子供にも見つかるわけにはいかない。けれど、捨てるにはあまりに惜しかった。私にとってこれは自由への鍵にほかならない。

そしてまた自転車で家路についた。なるべく強い風を受けて喫煙の痕跡を消そうと全速力でペダルをこぎ、無人の家に着くと顔と手を洗って服を着替えた。

しばらくして夫と息子が帰宅した。においは夫に感じられないようだった。子供もいつもとかわらない表情。私は安堵するとともに強い罪悪感におそわれた。吹き出した汗が体温を奪い始め、夏なのにひどい寒気をおぼえた。そしてトイレに駆け込んで、げえげえ吐いた。

夫は面食らっていた。突然、具合が悪くなりはじめた私を前にうろたえていた。今までこんなことはなかったからだ。

「なにか食べた?」と夫に聞かれた。食あたりを疑っているらしい。

事実を言うべきだろうか。しかし、それを告げたら軽蔑されるにちがいない。喫煙の事実を述べることは簡単だか、そこに至るまでの動機を説明しきれるだけの自信が私にはない。

「朝からすこし具合が悪くて」

それだけ答えることにした。妊娠の可能性が皆無であることは私が一番よくわかっていた。

心配顔の夫に子供をまかせ、ベッドで横になりながらスマホを操作した。検索で知り得た情報によると、まれにニコチンがまわったことにより吐き気をもよおすことがあるらしかった。それにくわえて急激な運動をしたのがきっとよくなかったのだろう。とにかく、これで私は煙草への思いをきっぱりと断ちきった。束の間の自由を味わってこんなに吐くのでは割りにあわない。そう思ったからだった。

後日、バッグの底から「自由への鍵」をひっぱりだして、今度はゴミ袋にしのばせた。ライターは小物入れの引き出しにしまった。そうして燃えるゴミの日に、人生最後の煙草と決別した。

タバコライオン