夫が出会い系で浮気してたけどどうでもいいや

子あり四十路女。若い女の子に目がない夫と冷めた生活を継続中。

40歳は初老だそうです

例によって夫と『どちらがより疲れているか』という不毛な論争をしていたのだけど、そこで私が思わず放ったひと言、

『私なんて初老なんだからね!』

に我ながら歳を実感したというか、初老か…初老なのか…といつまでも『初老』が引っ掛かっていた。

スマホに打ち込んでみたら、

『初老とは、40歳の異称。』

とでてきてさらにのけぞった。まじか。まじでか。私、まさに初老だったのか。そうか、初めての、老い…。

初老なのにいつまでも子供みたいな考えを捨てきれないのが本気で不安といえば不安。大人って、初老ってもっとみんなしっかりしてるイメージがかなりある。でもそういう人って、子供のころからわりとずっとしっかりしてるんだよね。予定を立てたり、計画に沿って行動したり、周りとうまく交流したり。そう考えると私はずーーーっとしっかりしていた記憶がない。子供の頃はいわゆるテスト勉強などは得意だったけど、機能不全家庭だった影響かちょっとした忘れ物が多かった。鍵っ子なのに鍵を持っていくのを忘れるという致命的なミスを繰り返してた。鍵がなくては当然、家に入れない。御近所付き合いもなかったからそういうときに行く場所もない。当時は学童なんてサービスもほとんどなかったし、親もきっと学童自体を知らなかったと思う。鍵はないけどなんとかして家に入らないといけない、と一階の上の方にある小さい窓を長いものでこじ開けて(鍵はかかってなかった)まずランドセルを投げ入れ、よじのぼって身体をねじこむという無茶をしていたのを覚えている。たまたま最初がうまく行ってしまったためにまた鍵を忘れて何度もそれを繰り返していた。今思えばあんなのは絶対におかしい。まず鍵を忘れたことを事後報告でもいいから親に伝えるべきだし、それを聞いた親は子供が鍵を忘れないように注意すべきではなかったのだろうか。

考えれば考えるほど、私は愛が足りていると感じたことがないというのに気づく。それは今の自分が周りに与えている影響ともつながっていて、要するに私は子供をちゃんと愛せている自信がない。自分が子供の頃に親にされたことをそのままコピーしている気がする。私の親はいつも自分のことで一杯で余裕がなかった。母はひどく感情的だったし、父は酒ばかり飲んで寝てばかりいた。

あんな家庭をつくるつもりじゃなかったのに。愛を持ちたい。なんだろう、宗教にでもすがりたくなるけど、それはそれで違う、絶対に違うと昔の私が制止する。