夫が出会い系で浮気してたけどどうでもいいや

子あり四十路女。若い女の子に目がない夫と冷めた生活を継続中。

シン・ゴジラが呼び起こすもの

シン・ゴジラの地上波はスルーした。映画館で見て腹が立ったもので。

平たく言うなら3.11を追体験させられたのが不快だった。あの絶望。なすすべもない無力感。不安。不信。あの日突然訪れたどうしようもない大災害の記憶は自分のなかではまだ『未処理』に分類されている。それを取り出して加工するのがこわい。

映画では勇敢な人間たちがゴジラという大災害と向きあい、協力しあって知恵を絞り、最終的には『そういう行動ができる人間の素晴らしさ』みたいなのが残る。凍結されたまがまがしいゴジラは今にも動き出しそうで不気味だけど、いつ起きてもおかしくない点では大地震原発も同じ。

もし、3.11を経験してなかったらフィクションとして楽しめたかもしれない。順序が逆だけど、これシン・ゴジラで見たやつだ!となったのかも。

3.11のとき。

水は止まったけど、電気は使うことができた。だからネットで水が配られる場所の情報を探した。ガソリンがどこで入れられるか、再開しはじめたスーパーや銭湯はどこか。ローカルな情報を手に入れるためにSNSがとても役に立った。

その頃はまだミクシィも使ってたけど、よく見てたのはTwitter。だけど自分のTwitterはリアルとはほとんど紐付けてなかったから、フォローに地元の人は少なく、タイムラインは地震なんて起きていないような日常のツイートばかりだった。それを見て隔たりを感じたのを強くおぼえている。地震云々というより、これが人生かなと思った。わたしがしぬときも、とても近しい人を除いてそこにはただ日常があるだけ。

シン・ゴジラに話を戻すと、3.11と大きく異なる点は東京が真っ先に狙われたところ。それによって日本の首都機能はボロボロになり、大企業の本社ビルも軒並み破壊され、電車は玩具のようにゴジラに突っこみバラバラになった。

それを『楽しく見れる』というのは幸せなことだと思う。これがもしゴジラ宮城県沖から現れて大津波からの福島第一原発と融合して大爆発、だったらまったく楽しめそうにない。

 

今週のお題「芸術の秋」

シン・ゴジラ