夫が出会い系で浮気してた

子あり四十路女。若い女の子に目がない夫と冷めた生活を継続中。

好きと嫌い

人や物に対して抱く感情、「好き」と同じだけ「嫌い」があるとしたら「嫌い」のほうが勝ってしまう。「嫌い」を乗り越えるのに必要な「好き」は少なくとも倍以上。

運動会の玉入れのように「好き」と「嫌い」にわかれた籠から集計して、例えばひとつだけでも「好き」が多ければ勝ち、とはならない。そもそも「好き」と「嫌い」の質量は等しいのだろうか。もし「好き」の価値のほうが高ければ、数が少なくても「嫌い」を帳消しにできる。「でも好き」が優先されたのは遠い昔。

 

好きだったものをそうでなくなるのは寂しい。誰よりも自分が信じられなくなる。

 

神木隆之介氏の見た目が好きだったのに、「有働由美子氏にちょっと似てない?」と思い始めてしまってから好き(神木隆之介)と嫌い(有働由美子)が入り交じって苦しい。別人なのに。結び付いてしまってかなしい。

 

 

人外と少女

人外(ケモノとか魔族とか神)と人間の女の子

カップリングが割りと好きで漫画を読んでいるのだけど、気になることがある。

 

におい、大丈夫なのか。

 

体臭。ケモノならかなりきついはず。野生の匂いを漂わせているはず。

人間のほうももシャンプーや柔軟剤の香りなどでくさいはず。実際、人間同士でもこれはちょっととなるにおいに遭遇することも少なくない。

香水もきついが、口臭や体臭(ワキガ)はもっときつい。できれば近寄りたくない。距離を置きたくなるため、恋愛対象になり得ない。

 

しかし、少女漫画においてはそんなハードルは描かれない。

贄姫と獣の王【期間限定無料版】 1 (花とゆめコミックス)
 

「贄姫と獣の王」では魔獣界に入り込んだ人間サリフィを周囲の獣たちがくさいくさいと言うが、サリフィが匂いを気にしている様子はない。サリフィ自身「世にも優しい女の子」という設定なので匂いを感じていながらも態度には決して出さないのかもしれないけど。序盤で魔獣界の瘴気にあてられて具合が悪くなっていたけど、そこに匂い問題が含まれていたかは謎。

獣の王は人間とのハーフだからそんなに獣くさくないのだろうか?人間に戻ったときには「人間くさい」と表現されていたけども。

 

コレットは死ぬことにした 1 (花とゆめコミックス)

コレットは死ぬことにした 1 (花とゆめコミックス)

 

こちらは冥府。

死後の世界、死者の世界ってことはやはりこちらも尋常ならぬ匂いに満ちていてもおかしくない。

コレットが飛び込むのは井戸だし、井戸の底といえばジメジメしていそうだし、陽は射さないし。

しかしこちらも「贄姫」同様、匂いに苦戦する様子は描かれず、人外と少女はすんなり恋に落ちる。

 

もしかすると、贄姫もコレットも実は最初に少女は死んでいて、幽霊だから匂いを感じることがないのかもしれない。

ショタおね

かつて夫の女子高生好きを鼻で笑っていたのだが、このたび自分の性癖に気づかされることがあり戸惑っている。

ジャンルで言うと「ショタおね」。。。

年端の行かぬ少年が成年女性に思いを寄せる……という、あらためて文章にしてみると直視できぬほどの気恥ずかしさ。しかしこの恥ずかしさこそまた性癖なのかもしれない。

きっかけは「ヤンキーショタとオタクおねえさん」という漫画を読んだこと。

タイトルの通り、ヤンキー(風味の両親に育てられたヤンキールックスの)ショタ(小学校高学年男子)が、隣の家のオタク(ショタものBLNL広く好きらしい)おねえさん(社会人)にぞっこんに惚れており、ショタ側から猛攻しまくる(しかしおねえさんは気がつかない)ラブコメ漫画である。

この漫画を読んで「これだ」と確信した。こんなに刺さるジャンルは他にない。ショタおねが好きだったのか私。やっと気づくことができた。

これまでにも、ショタおねに近いと思われる漫画を読んだことはあった。

 

私の少年

これも小学生男子×成人女性。

描写はかなりリアル寄りで、二人のただならぬ(肉体関係とはいかないまでも他人にしては近すぎる)関係を心配した少年の父親や、主人公女性の上司によって二人は距離を置かざるを得なくなる。まぁ普通そうなるだろうねという展開。親戚でも知人でもなく、まったくの他人と子供が仲良くなってたら親としては引き離すだろう。

それから数年経ち、小学生だった少年は中学生になり、未だに主人公女性にベタ惚れ。

まだ完結していないが、東京に戻ったヒロインと中学生となった少年は再び距離が縮まり、どうなるのかといったところ。

ヒロインはかなり自制しているので、このままゆるく少年の成長を見守り、最後は少年側から離れていくさまが爽やかに描かれるのではなかろうか。まぁ、キスくらいはしてしまうかもしれないけど。どうだろうか。

 

「恋のツキ」

恋のツキ(1) (モーニングコミックス)

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15歳男子高生×31歳社会人女性、

ショタではない(と思う。詳しくないけど)上に、どちらかというとショタおねというよりはおねショタ?に分類されるのだろうか。成人女性(ワコ)のほうが男子高生(伊古)にグイグイいったことにより肉体関係が成立したので。

しかし、一回り以上年齢差のある年上女性と年下男性が関係を持つと決して楽しいことばかりではないということがまざまざと描かれていて大変苦しかった。

特に、ワコが家で浴室掃除をしている姿を見て伊古が無意識に「お母さん」と呼びかけてしまうところ。埋められない年代の差。

あと伊古が同年代の女の子を夢に見たり、自分と同じくらい若い同年代カップルを見て悔しそうにしたりするところも辛かった。

しかもそれらのことをワコは知らない。

読み手としてはふらふらと男の好意を渡り歩くワコよりも青春を全て消費しつつある伊古のほうに肩入れしてしまい、終盤で二人が別れたときにはほっとした。しかし、大学生になった伊古はまだワコと続いていたという衝撃のラストを迎えてしまって「いやこれワコの妄想では?」と思ってしまったものだった。

 

猫と私の金曜日

猫と私の金曜日 1 (マーガレットコミックス)

猫と私の金曜日 1 (マーガレットコミックス)

 

男子小学生×女子高生。二人はいとこ同士。男子小学生の猫太が女子高生の愛にベタ惚れしてグイグイくる。これぞショタおね……なんだけど、どうも、猫太がイケメンすぎて小学生に見えないところが私的にはいまいちだった。それさえ目を瞑れば、というか「この子は小学生なんだ」と強く思い込むフィルターをかければかなりいけます。

描写はキスあたりまで。とはいえ、かなり頻繁に繰り返されるので「大丈夫なのか?」と心配になるほど。終盤になると互いの親も公認なのでショタおねについてまわる「後ろめたさ」「淫行」などの暗いイメージがほぼ皆無なところが逆にすごい。陽のパワー。

 

こうして書き出して思うのは自分にとってショタおねの魅力は

「絶対やってはだめなこと」「許されない関係」「犯罪であり罰せられる」が前提としてありながら、

「それでも少年の一途な姿にぐっときてしまう」というところ。

あと年上女性の反応に思い切り一喜一憂するショタの尊さ。

なのであまりハードなものではなくて、ピュアなショタの姿が見られるのであればむしろ恋愛が成就しないままどっちつかずな関係のほうがいい。

目下の悩みは、ショタおねで検索するとおねショタばかり表示されてしまうこと。

おねショタは「おもに年上女性が先導して少年を誘惑する」ものであり、私が求めるショタおねの「ショタが頑張って年上女性に振り向いてもらおうと奮闘する」ものとはかなり違う。まだ一緒くたにされているところが多いのだろうか。

しかし、あまりにジャンルが発展してしまうと性質的に取り締まりの対象とかになってしまうかもしれないという心配もある。複雑だ。

パスタが重い

パスタを食べると胃がもたれるようになってしまった。

食べたあとしばらく腹部に重苦しさが残る。小麦粉がいけないのかと注意しながらパンやうどんを食べてみたが、パスタがダントツでもたれる。

重さの順は

パスタ>>>>>うどん・ラーメン>パン>>>>白米

小麦粉を固めて乾燥させてあるのがいけないのだろうか。

あと茹でかた。アルデンテだともたれ度がマシマシ。

食べかたも。気をつけて食事をしてみると、パスタのときはほとんど噛まずに飲み込んでいるのに気づいた。

しかしアルデンテはゆずれない。乾麺パスタをくたくたになるまで茹でてしてしまうくらいなら最初からうどんをパスタソースに和えるほうを選ぶ。

よくよく噛んで食べ、量も少なめにする。ガーリックを効かせるのはほどほどにする。これを守ればあと数年くらいはパスタを食べられるだろう。

主食のなかでは一番好きだったのだけど。

そのうちお茶漬けかお粥をパスタよりも好むようになるのかな。変わりたくないことが変わってしまう加齢ってせつないな。

 

 

母と会うと具合がわるくなる

半年に一度会うか会わないかくらいの頻度でも、顔を合わせると具合が悪くなってしまう。母さん、どうしてナチュラルに毒をはくの。なぜわたしを愚痴のゴミ箱にしつづけるの。わたしに同調してほしいの?それを聞いてしんどくならない人間がいるの?たまには楽しいはなしだけを聞かせてほしい。それから飲食店にはいるならなにか注文してよ。朝ごはんが遅かったとか知らないよ。せめて飲み物だけでもいいから。恥ずかしくてしかたがないよ。

 

これをすべて本人に伝えられたらどんな気持ちになるだろう。

母はきっと謝るだろう。もしかしたら泣くかもしれない。だけど性質は変わらない。母を泣かせたというダメージだけを無駄に負いたくない。

 

四十も過ぎて母が父が言ってるのもどうかしている。

 

わたしは自分の子どもをちゃんと育てられる自信がまったくない。

記憶の町

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子どもの頃に住んでた家が、外の小屋みたいなところにお風呂があって

というような昔話を見て記憶のフタが開いてしまい、勢いよく思い出が流れ込んできた。

子どもの頃に住んでいた場所のこと。

平屋の建物がならぶタイプの市営住宅だった。すごく古くて、それこそお風呂場も半分外にあるみたいな、なんていうんだろう、沸かすところのボイラー?が外付けだったのだろうか。記憶がおぼろげなんだけど、脱衣所はなく台所のすぐ横に浴室のドアがあった。

市営住宅には同じ年頃の子どもがたくさんいて、公園で遊んだり、駄菓子屋にお菓子を買いに行ったり、ファミコンがある家に住んでいる友だちのところに遊びに行ったり、今の孤独で引きこもりな自分からしたら信じられないほど交遊していた。

今となって思えば、あの時代は生きてきたなかでいちばん幸せだったかもしれない。

子供時代を思い出そうとすると、国道を渡って視界の遥か先まで続く小学校からの帰り道や、遠くの山にはてっぺんに観覧車があったこと、床屋の青と赤がまわるカラーポール、店先に取り付けられた時計、朝はそれを目安に急ぐかどうか決めていたこと、いつでもそこに帰れるくらいの記憶の量にのみこまれそうになる。

親は親で、市営住宅に住んでいることに引け目を感じていたらしい。あるとき個別面談から帰った母親が「先生に『市営住宅、あぁ、あそこの』とまるでスラム街に住んでいるかのように軽蔑された」とこぼした。私は衝撃を受けたけど、それは母親から聞かされた担任の態度が悲しいというよりは、母親はここに住んでいることを恥じている、と知ってしまったからだった。ここで生まれ育った自分にとってこれほど素晴らしいところはない…とまではいかなくとも、ほかの場所を知らないし、そんなに悪くない生活をしてたように思っていたから。

夜は部屋に家族分の布団をしきつめて、父親とゲラゲラ笑いながら眠って、朝は母親の自転車にのせられて保育所に行って、小学校に上がったら鍵っ子になったけど近所には同じく親が共働きの友達もたくさんいて、とても楽しかったのに。

そんな生活は母親の上昇思考により環境をがらりと変えることになり、小学校三年生の頃に母親だけが念願だった新築一戸建てへと引っ越した。

そこで私の黄金時代も幕を閉じた。あとはずっと暗黒。

父親は無職になり、母親はローンにあえぎ、兄は引きこもりになって、私はこのざま。家が呪われていたのだろうか。それとも、例えあの場所に住み続けていたとしても同じような運命を辿ったのだろうか?

引っ越してから家族にいい思い出がほとんどない。悪いことのパンチが強すぎて。黒い絵の具に赤や黄を混ぜてもほとんど黒い色になってしまうみたいに。

だけど引っ越す前までの記憶は、あざやかなまま光を放っている。それが子供時代というものだろうか。カズオイシグロの小説を読めばヒントが得られるだろうか。

もしこのさき、私が痴ほう症になったとしたら、あの記憶の町にとらわれつづけるかもしれない。

ホームアローン今みたらとんでもなかった

クリスマス映画としてテレビで放送されてたホームアローン、どれ子供と一緒に見てみようかなと録画しておいた。

私自身、昔それこそテレビでちらっと見たおぼえがあって、なかなか楽しかった記憶があった。

いざ子供と見始めたら、あまりのはっちゃけぶりに閉口。

部屋のなかでエアガンにしては立派な銃をぶっぱなしたり、おなじく屋内で爆竹を炸裂させたり、故意ではないといえ万引きして脱走したり、その流れでトラックの前に飛び出したり、もみの木にのぼってチェンソーで枝を切り落としたり、ハラハラしすぎてとても見ていられない。

劇中での設定は8歳らしいけど、なまじやれることばかりな年齢だけにやりたい放題の状況が恐ろしい。

とても「親子で見て楽しもう!」という感じにはなれなかった。当の息子も全然食いつかずに飽きて他のことをしはじめたので、強盗が本格的に襲撃するまえに視聴中止。

本当に恐ろしい映画だった。

危険度でいったらビーバップハイスクールくらいかな。そっちもちゃんと見たことないけど。

あれを面白く見るには「おさるのジョージ」のおじさんくらいに強靭かつ余裕のある精神力を持ち合わせていないと。

そして考えた。

子供が危険なことをするのが見てられない、というのは私の場合「子供自身の安全」よりも「自分の心を乱されたくない」だけなのかもしれない。

行動の結果を身をもって知る体験は重要だ。その機会を「世話の手間を増やされたくないから」とむやみに奪うことは、子供の人生そのものも奪いかねない。と少し反省もした。