記憶の町

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子どもの頃に住んでた家が、外の小屋みたいなところにお風呂があって

というような昔話を見て記憶のフタが開いてしまい、勢いよく思い出が流れ込んできた。

子どもの頃に住んでいた場所のこと。

平屋の建物がならぶタイプの市営住宅だった。すごく古くて、それこそお風呂場も半分外にあるみたいな、なんていうんだろう、沸かすところのボイラー?が外付けだったのだろうか。記憶がおぼろげなんだけど、脱衣所はなく台所のすぐ横に浴室のドアがあった。

市営住宅には同じ年頃の子どもがたくさんいて、公園で遊んだり、駄菓子屋にお菓子を買いに行ったり、ファミコンがある家に住んでいる友だちのところに遊びに行ったり、今の孤独で引きこもりな自分からしたら信じられないほど交遊していた。

今となって思えば、あの時代は生きてきたなかでいちばん幸せだったかもしれない。

子供時代を思い出そうとすると、国道を渡って視界の遥か先まで続く小学校からの帰り道や、遠くの山にはてっぺんに観覧車があったこと、床屋の青と赤がまわるカラーポール、店先に取り付けられた時計、朝はそれを目安に急ぐかどうか決めていたこと、いつでもそこに帰れるくらいの記憶の量にのみこまれそうになる。

親は親で、市営住宅に住んでいることに引け目を感じていたらしい。あるとき個別面談から帰った母親が「先生に『市営住宅、あぁ、あそこの』とまるでスラム街に住んでいるかのように軽蔑された」とこぼした。私は衝撃を受けたけど、それは母親から聞かされた担任の態度が悲しいというよりは、母親はここに住んでいることを恥じている、と知ってしまったからだった。ここで生まれ育った自分にとってこれほど素晴らしいところはない…とまではいかなくとも、ほかの場所を知らないし、そんなに悪くない生活をしてたように思っていたから。

夜は部屋に家族分の布団をしきつめて、父親とゲラゲラ笑いながら眠って、朝は母親の自転車にのせられて保育所に行って、小学校に上がったら鍵っ子になったけど近所には同じく親が共働きの友達もたくさんいて、とても楽しかったのに。

そんな生活は母親の上昇思考により環境をがらりと変えることになり、小学校三年生の頃に母親だけが念願だった新築一戸建てへと引っ越した。

そこで私の黄金時代も幕を閉じた。あとはずっと暗黒。

父親は無職になり、母親はローンにあえぎ、兄は引きこもりになって、私はこのざま。家が呪われていたのだろうか。それとも、例えあの場所に住み続けていたとしても同じような運命を辿ったのだろうか?

引っ越してから家族にいい思い出がほとんどない。悪いことのパンチが強すぎて。黒い絵の具に赤や黄を混ぜてもほとんど黒い色になってしまうみたいに。

だけど引っ越す前までの記憶は、あざやかなまま光を放っている。それが子供時代というものだろうか。カズオイシグロの小説を読めばヒントが得られるだろうか。

もしこのさき、私が痴ほう症になったとしたら、あの記憶の町にとらわれつづけるかもしれない。