我が精神の停滞

もう若くないという現実にじわじわと打ちのめされてる。消えない毒みたいに。なおらない病のように。生きている限りずっとこれがひどくなっていくのは明白で、そう思うと暗澹とした気持ちになる。

若い時分には、「若くていいねぇ」と言ってくる年配者の気持ちがわからなかった。でも今はわかる。もう二度と手に入らない、だけど確かに昔は自分にあったもの、それがとても眩しくて仕方がない。だからつい口にしてしまうのだろう。若いというのはそれだけで素晴らしいことだなんて。

だけど、よくよく考えてみる。いまの私が眩しくてしょうがないのは肉体的な「若さ」だけなのだ。たとえば記憶そのままに時間を巻き戻すことができたとして、若い頃に戻ったら、とにかくお金がないことに絶望してしまうだろう。お金がなくてつらかったあの頃。いまみたいにネットもなかったあの頃に楽しく生きる術は、いまの私にもわからない。

それでは見た目を若くすればいいかというと、それもちがう。いくら若く見えても、四十年生きてきたという事実は変えられない。なにもかもがちぐはぐだ。

 

こんなことをつらつら考える羽目になったのは、夜眠れなくてツイキャスというのを見てみたからである。ツイキャスはおそろしい。ほとんどが十代前半。二十そこそこで「大人っぽい」などと評される世界。そんななかに四十の私が紛れ込むなんて無理すぎるのだ。その子らの親でもおかしくない年齢で、一緒に楽しむなんてもってのほか。完全に若者の文化だと感じた。

では同世代の人とつるめばいいのかっていうと、それも私の精神が未熟ゆえ無理であった。行き場がない。やはり三十くらいで去っておけばよかった。三十でも、生きすぎたと感じていたくらいだった。人生とは。