夫が出会い系で浮気してた

子あり四十路女。若い女の子に目がない夫と冷めた生活を継続中。

ルーズソックスを履きこなせなかった私と安室ちゃん

映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』が気になっているが見に行けないままでいる。

90年代に高校生だった女友達グループの話。監督は「モテキ」の人。女性たちの現在は四十代で、高校時代に流行した音楽がガンガン流れるらしい。モテキでもガンガン流れてた(そして楽しかった)からああいうノリなんだと思う。四十路といえば自分にとってはまさに世代的にはドンピシャ。楽しそう、と一瞬思ったが高校時代の彼女たちがルーズソックス、ミニスカートの制服、ガングロ、といわゆる「コギャル」っぽいのを見てブレーキがかかった。

私はルーズソックスには縁遠い高校時代を過ごした。高校に入りたての頃は周囲のルーズソックス率はさほど高くなく、学年でも有数のおしゃれな女子が履いているくらいだった。だが日に日にルーズソックスは田舎の女子高生にも流行しはじめた。やがてルーズソックスを履きこなす女子がクラスにもちらほら見られるようになり、そういう子たちは制服のスカートもいつのまにか膝上まで短くして最先端を行くのだった。オシャレに興味があって、スタイルが良くて、男子とも明るく話せるようなイケてる女子。対して私は今でいうところの陰キャであり、オシャレへの志が低いイケてない女子だった。というか、過去形ではない。今でもずっとイケてないクソダサおばさん。

なんだか連綿と続くイケてない自分史を振り返って暗澹たる気持ちになってくるが、事実だからしょうがない。

ルーズソックスを持っていないわけではなかった。自分で買ってみたことがある。しかしどうだろう、ルーズソックスというものはただ履いてくしゅっとたるませるだけでは全く様にならない。あくまでトータルコーディネートの一部でしかないのだ。スカートは短くしなくちゃならないし、髪型もきちんとキューティクルを整えてできれば茶髪にし、ヘアドライヤーでブローしないといけない。さらに短くしたスカートとくしゅっとしたルーズソックスに見合う脚でなければならない。

黒くて太い髪を低めに一つか二つ縛りにした髪型。ウェストを折って気持ち短くしただけの形がいびつなスカート。そこにルーズソックスを履いただけでは、いつも以上にクソダサい女子高生になるだけ。それに気付いたとき、イケてる女子のたゆまぬ努力に私は感服した。ただルーズソックスを履くだけではだめなのだ。それから私はイケてる女子に師事し、努力……はしなかった。おしゃれを頑張るのは大変そうだった。決まったことをやれば点数に反映される勉強のほうがまだ楽のように思えた。そうしてクソダサいまま高校を卒業した。時代はコギャルだとか女子高生ブーム真っ盛りのように見えた。同じ年代のはずの彼女たちはとても遠い存在だったし、テレビの中の都会はきっとそうなんだろうと思うことでルーズソックスも捨てた。

そんなことを、映画SUNNYのサイトを見て思い出した。

篠原涼子の高校時代を広瀬すずが演じていて、地味でおどおどした感じの女子高生のカットがあったので親近感を覚えかけたが違うカットでは笑顔でルーズソックスを履きこなしていたのでそっと閉じた。

使われている音楽はきっと好きだ。聴けば懐かしく感じるし、多分どれも口ずさめるほど思い出もある。それならYouTubeで懐かしい曲を片っ端から再生リストに突っ込めばいい。

そこまで考えて、音楽の凄さを思い知る。音楽は聴く人を選ばない。

コギャルじゃなくても安室ちゃんを聴ける。チンピラやムキムキじゃなくても長渕剛に感動するし、悪そうな奴が友達にいなくてもHIPHOPに身を委ねることができる。ファッションや環境にとらわれずにどんな音楽を聴いてもいいし、楽しめる。ライブでは若干浮くかもしれないけど、周りの属性や格好を気にする人なんてそんなに多くない。

安室ちゃんが引退する前の最後のインタビューで言っていた。

「これから私たちはどうやって日常を過ごしていったらいいですか」というファンの質問に、安室ちゃんはこう答えた。

「いろんな音楽を聴いてほしい。私の音楽だけではなくて、いろんな音楽を。そして、音楽をもっと好きになってください」と。

書いてて泣きそう。安室ちゃんすげえ。そう、音楽ってすごい。垣根がない。なんというか、安室ちゃんありがとう。SUNNYはそのうちアマプラに追加されたら見てみようと思う。

「SUNNY 強い気持ち・強い愛」Original Sound Track

「SUNNY 強い気持ち・強い愛」Original Sound Track

 

やっと夏がおわる

夏が好きな人はお引き取りください

 

やっと夏がおわる。

私は夏が大嫌いだ。

祭りもレジャーも暑いのも何もかも嫌い。

唯一のメリットは洗濯物が早く乾くことくらい。

とにかく嫌い。夏が嫌い。

祭りは楽しむもんだみたいな風潮きらい。

祭りを楽しめない私には確実に何かが欠けている。寛容さとか。生命力とか。好奇心とか。だがそれが何だというのだろう。家でじっとしていたい。ひたすら本を読んだり映画をみたりしていちゃダメなのか。

でもダメなんだよ。子供がいる母親としてそれはダメという烙印を押されても仕方がないくらいダメ。フットワークの軽い母親こそ至高。レジャー大好きで友達がすぐできるコミュニケーション能力があれば母親業がうまくまわるってもん。

私にはそれがない。ないのに子を持ってしまった。そこまで深く考えてなかった。だけど夏は嫌い。祭りも花火も盆踊りも海もプールもキャンプも野菜収穫もすべて嫌だ。

そんな夏ももうすぐ終わり。季節よ堂々と過ぎ去ってくれ。そして家に一日こもってても堂々としていられるような冬にはやくなってくれ。

 

毎月恒例退散祈願

平常時なら笑って済ませることがいちいちささくれ立った心にひっかかって苛々する。

汚いところや悪いところばかりが目につく。

ひとりになりたい。とにかくひとりになりたい。

見知らぬ場所に旅立ちたいわけではない。ただ家のなかで、沈黙していたい。家族の世話だとか家事なんて考えることもなく、ひたすら単純なゲームでもしていたい。聞きたくない音は聞かない。テレビもいらない。雨が降ったらベランダに入り込む水音だけを聴いて眠るような生活がしたい。

こんなに調子が悪いのは間違いなくPMSのせい。原因はわかっているのに、それに対抗できる術がない。ハーブティも試した。カフェイン抜きも試した。断酒もしている。運動も。それで身体の具合はましになる。月経自体も少しは軽くなる。だけど気分だけはどうにもならい。嵐に翻弄される。それまで穏やかに周りをとりまいていたものが、あっというまに怒りや悲しみの色にそまる。それらのもの自体が変化したわけではないことは知っている。私の視界に何者が勝手にフィルターをかけてしまった。月に一度、数日に渡って悪さをするそいつ。神頼みしても治らない。制御できない怪物の存在を自分の内に感じる。

煙草とカート

煙草を吸うのにスーパーマーケットやコンビニの外に設置されている灰皿を渡り歩く。

昨日行ったスーパーでは、灰皿の近くに買い物カートが放置されていた。

たまには人の役に立ってみようかと、カートを店内に戻したがドアが手動だったのでなかなか苦労した。

そして今日も同じスーパーに煙草を吸いに行くと、またしても灰皿近くにカートがある。同じ人なのだろうか。それとも、そこにカートを置く一定数の人がいるのだろうか。

だいたい、ドアが手動なのに。

そのドアをわざわざ大きく開けて動かないようにしてから、外に持ち出しているというの?

灰皿がある入口の近くには数台分の狭い駐車場がある。入口からは近いがあまりに狭いので、私はそこには停めない。放置カートはそこを利用している人の仕業なのだと思う。

別の入口側にある駐車場にはカート置き場があるけどここにはない。

だからといってカートを使い捨てていくのはどうなのか。

二度あることは三度ある。次に行くときにもきっとカートがあるんだ。

それにしても、私が煙草を吸いに行くのはスーパーが開店して間もない時間帯。

その短時間に、わざわざ手動ドアを開けてカートを出し、車に積み終えてカートを放置することが二日連続している。

もしかすると、カートが放置されたのは前日なのか。

私がカートを店内に戻したのは、店員が店じまいをするときの負担を減らすためだったのだけど、もしかして毎日戻す必要はないのだろうか。

次にカートを見かけたら、思いきって放置してみようか。

 

 

ミレーナが気になって調べた

月経の話。

 

ミレーナが気になっている。

子宮内に装着するリングで、少しずつ黄体ホルモンを放出することで避妊や月経過多、月経困難症に効果があるらしい。

避妊以外の目的で付ける場合、つまり月経過多や月経困難症と診断され、ピルの服用に不安があると判断されミレーナ装着が望ましいと判断されれば保険が適用になるそうだ。

装着には診察込みで4~5万円くらい。その後も定期的に検査する必要があり、最低でも5年以内にはミレーナ自体を取り替える必要がある。

どうやらPMSにも効果的らしいし、とても気になる代物ではあるんだけど、私はおそらくあと5年もすれば生理自体あがるだろうし…と思うと面倒さのほうが微妙に大きくて、調べれば調べるほど「まぁ、いいか…」と。

生理用品の価格(タンポン高すぎ)とか、生理中のわずらわしさ(入浴とか睡眠とかゴミの多さとか)にはほとほと嫌気がさしているけど。生理前の異様な眠気や食欲にかなり無駄な時間を費やしているけど。

「面倒」それだけが判断基準。裁判官の視点はそこだけ。

ピルも、毎日飲むのが続かなくてだめだった。

多分、死ぬ直前まで「息をするのが面倒」と思ってるのかもしれない私。

煙草を買った

吸った。

喉にヴッとくるたびにストレスから解放された気がした。

買った場所はコンビニ。番号は見えるけど説明が書いてあると思われるプレートは文字が小さすぎて読めなかったから勘で選んだ。

カラオケボックスにこもってひたすらに喫煙した。全部で五本くらい吸った。

残った煙草とライターは捨てずに持っておくことにした。これがある限り、また一人でふらりとどこかに行く必要がある。そのときのために大事に持っておく。

夫に発見されたらきっと非難されるだろう。でもこれくらいの非行で家内安全が保たれるんだからましなほうだ。Twitterで未成年相手に色恋のメッセージを送るよりずっといい。私が傷つけているのは自分だ。

四十にもなって生身の人間がこわいだなんて

大人は強いものだと思っていた。子供より身体が大きいし、お金もあるし、行こうと思えばどこでも行ける。だから大人は強いはず。

いざ自分が歳を重ねてみると、確かに身体は大きくなった。お金も国内くらいならすぐに行ける。だけど強くない。特にメンタルは激よわ。にんげんがこわい。文字ならば落ち着いて受け止めることができるんだけど、特に生身の人間が相手だと視線、発言、声色、隠された本音、くみ取れない意図、まわりくどい表現すべてが未知で恐ろしい。判然としないもの、はっきりしないもの、突発的なもの、それらを内包する生身の人間に対応するのがひどく疲れる。

驚くべきことに、相手が一桁年齢の子供でもこわい。自分の子供はまだ楽なほうというか、ある程度の思考や行動のパターンが読めるからましだけど、他所の子供はやっぱり未知。しかも近所だと子供プラス親、なんなら兄弟、祖父母とファミリー単位になっちゃって手に負えない。人間は未知だからこそ無限の可能性を秘めていて面白い、なんて思える器があったらどんなによかっただろう。表情だの表現だのを読み取るのが困難な人間のためにターゲットを即座に数値化して分析するロボコップみたいなハイパーテクノロジーコンタクトレンズをはやく商品化していただきたい。そのためにはどこの株を買ったらいいのだろう。