この世はこんなにつらいから

酒を飲まないとやってられない。

 

アル中への道をひた走っている。

ほぼ毎晩飲む。

酎ハイ350mlを1缶。

しかし最近はアルコール度数が高いよねー。

ふつうに「7%」とか書いてあるから、ふつうに飲んじゃうよね、7%。

これだけアル中になりやすい環境ってのも日本ならではなのかい。

外国に行ったことも住んだことも行く予定もないからわかんない。

このままここで何十年か生きて、死ぬんだと思う。

わたしの生きてきた意味って、なんだったんだろうね、なんて考えたらおしまい。

だって意味なんてないでしょう。

ただ生まれてきて、死ぬ。それだけのことだよ。

現世を少しでも味わえたらいいんじゃないのかな。

愛とか幸せとか、味わえたのかな。少しでも。

思い出すと苦しくなるけど、確かにあの頃は輝いていたな。

こんなに好きになる人はもう現れないと思った。相思相愛だったのは一瞬のことでも、幸せだった。だけど相手がしたことも自分がしたことも許せなくなって、訣別した。あれを乗り越えるべきだったんじゃないだろうか私は。そうしたらもうちょっと愛について向き合える人生だったのかな。だけど相手にそれを強要するのもおかしな話。

 

常に酔っぱらって生きていけたらラクなのにな。

頭がふわふわして、余計なことは考えなくて、先のこともわからない。ただ音楽を聴いていい気分になるだけ。

 

わたしは秘密がないと苦しくなる。

今も家族に秘密を持っている。

それは酒を飲むことにほかならない。夫や子供がいないあいだに酒を飲む。うわ、立派なアル中じゃん。

そして大音量で「ゴーストバスターズ」を流して踊り狂うのだ。変な教団の変な儀式みたいに。そんな姿だれにも見せられないし、その秘密がわたしという人間を保っている。

秘密がない人ってすごいな。きっと大きな人なんだろう。

わたしはどうでもいいことを「秘密」という部屋に鍵かけて閉じ込めることで、なにか一癖あるような人間になったつもりでいるだけだもの。

なんにもないゆえに、くだらない秘密をつくって大事にしてるの。

だけど自分で死ぬのはばかばかしいと思う。だっていらん迷惑をかけるでしょう。周りの人があとで余計に苦しむんじゃないかな。あのときああしてあげればもしかしたら、とか、絶対にその人のせいなんかではないのに一生背負っていっちゃうよね。

一時期はわたしも自殺にとりつかれたけどね、なんかもういくとこまでいっちゃえばいいじゃんって気分になってる。だって死ねなかったし。首吊り失敗してERの人たちのお手を煩わせて、ぴんぴん生きてアル中になりかけてるって、これでまた自殺はかって失敗しちゃったら本当にちょっと、、、、ねぇ、、、って感じ。だったら最初に●んどけよ!って周りの誰もが思うよね。それに今は子供もいるので、彼の一生のウツの種になるわけにはいかないので、それは生きていたもそうなるかもしれないけども、生きているかぎり笑いあえる瞬間もあるわけで、しんじゃったら取返しもやり直しもできないので、みっともないまま生きる。

魔法少女のスカート

今期始まったアニメをぼちぼちと見ている。異世界とか魔法とかが多い。

 

なぜ魔法少女は短いスカートで空を飛びまくるのか?

うら若き女性の太ももがあらわになるのは素晴らしいこと、という前提があるのか?

スイレン

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これも。

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みんなスカートをひらひらさせながら空を飛ぶ。中にスパッツなど履いていないけど、下着が見えることはほとんどない。アニメだからね。

 

そうか、逆にアニメだから安心して見ていられる点はある。不意にスカートがめくれて下着やお腹が見えるようなことにならないから、そこに注目しないで動きだけを見ていられるということか。

 

しかし気になってしまう。自分が若かりし頃、制服のスカートで自転車に乗るのがすごく嫌だった。ばさばさして、意識して手で押さえること自体恥ずかしいうえに、そんな恥じらいを他人に感じ取られるのも我慢ならなかった。

しかし制服は着ないといけないし、徒歩で行くには駅や学校までアホほど遠く、自転車に乗らざるを得ない。スカートの丈が長ければ問題ないというわけではなかった。丈の長いスカートで自転車に乗るとより空気をはらみやすく、バサバサと邪魔で仕方がない。

 

最近は女子の制服もズボンが選択できるそうで良いですね。

 

魔法少女のスカートはこの先も短いままなのかな。

 

一転して「魔法少女」でなく「魔女」になると、身体のほとんどを覆い隠すような、ひきずるほど長い暗い色をしたローブを着ている印象がある。

布地が少なく肌を露出させるのは若さの象徴ということかね。

 

そう考えると、ずっとミニスカートを履き続けている森高千里の凄みをあらためて感じるのだった。

好きと嫌い

人や物に対して抱く感情、「好き」と同じだけ「嫌い」があるとしたら「嫌い」のほうが勝ってしまう。「嫌い」を乗り越えるのに必要な「好き」は少なくとも倍以上。

運動会の玉入れのように「好き」と「嫌い」にわかれた籠から集計して、例えばひとつだけでも「好き」が多ければ勝ち、とはならない。そもそも「好き」と「嫌い」の質量は等しいのだろうか。もし「好き」の価値のほうが高ければ、数が少なくても「嫌い」を帳消しにできる。「でも好き」が優先されたのは遠い昔。

 

好きだったものをそうでなくなるのは寂しい。誰よりも自分が信じられなくなる。

 

神木隆之介氏の見た目が好きだったのに、「有働由美子氏にちょっと似てない?」と思い始めてしまってから好き(神木隆之介)と嫌い(有働由美子)が入り交じって苦しい。別人なのに。結び付いてしまってかなしい。

 

 

人外と少女

人外(ケモノとか魔族とか神)と人間の女の子

カップリングが割りと好きで漫画を読んでいるのだけど、気になることがある。

 

におい、大丈夫なのか。

 

体臭。ケモノならかなりきついはず。野生の匂いを漂わせているはず。

人間のほうももシャンプーや柔軟剤の香りなどでくさいはず。実際、人間同士でもこれはちょっととなるにおいに遭遇することも少なくない。

香水もきついが、口臭や体臭(ワキガ)はもっときつい。できれば近寄りたくない。距離を置きたくなるため、恋愛対象になり得ない。

 

しかし、少女漫画においてはそんなハードルは描かれない。

贄姫と獣の王【期間限定無料版】 1 (花とゆめコミックス)
 

「贄姫と獣の王」では魔獣界に入り込んだ人間サリフィを周囲の獣たちがくさいくさいと言うが、サリフィが匂いを気にしている様子はない。サリフィ自身「世にも優しい女の子」という設定なので匂いを感じていながらも態度には決して出さないのかもしれないけど。序盤で魔獣界の瘴気にあてられて具合が悪くなっていたけど、そこに匂い問題が含まれていたかは謎。

獣の王は人間とのハーフだからそんなに獣くさくないのだろうか?人間に戻ったときには「人間くさい」と表現されていたけども。

 

コレットは死ぬことにした 1 (花とゆめコミックス)

コレットは死ぬことにした 1 (花とゆめコミックス)

 

こちらは冥府。

死後の世界、死者の世界ってことはやはりこちらも尋常ならぬ匂いに満ちていてもおかしくない。

コレットが飛び込むのは井戸だし、井戸の底といえばジメジメしていそうだし、陽は射さないし。

しかしこちらも「贄姫」同様、匂いに苦戦する様子は描かれず、人外と少女はすんなり恋に落ちる。

 

もしかすると、贄姫もコレットも実は最初に少女は死んでいて、幽霊だから匂いを感じることがないのかもしれない。

ショタおね

かつて夫の女子高生好きを鼻で笑っていたのだが、このたび自分の性癖に気づかされることがあり戸惑っている。

ジャンルで言うと「ショタおね」。。。

年端の行かぬ少年が成年女性に思いを寄せる……という、あらためて文章にしてみると直視できぬほどの気恥ずかしさ。しかしこの恥ずかしさこそまた性癖なのかもしれない。

きっかけは「ヤンキーショタとオタクおねえさん」という漫画を読んだこと。

タイトルの通り、ヤンキー(風味の両親に育てられたヤンキールックスの)ショタ(小学校高学年男子)が、隣の家のオタク(ショタものBLNL広く好きらしい)おねえさん(社会人)にぞっこんに惚れており、ショタ側から猛攻しまくる(しかしおねえさんは気がつかない)ラブコメ漫画である。

この漫画を読んで「これだ」と確信した。こんなに刺さるジャンルは他にない。ショタおねが好きだったのか私。やっと気づくことができた。

これまでにも、ショタおねに近いと思われる漫画を読んだことはあった。

 

私の少年

これも小学生男子×成人女性。

描写はかなりリアル寄りで、二人のただならぬ(肉体関係とはいかないまでも他人にしては近すぎる)関係を心配した少年の父親や、主人公女性の上司によって二人は距離を置かざるを得なくなる。まぁ普通そうなるだろうねという展開。親戚でも知人でもなく、まったくの他人と子供が仲良くなってたら親としては引き離すだろう。

それから数年経ち、小学生だった少年は中学生になり、未だに主人公女性にベタ惚れ。

まだ完結していないが、東京に戻ったヒロインと中学生となった少年は再び距離が縮まり、どうなるのかといったところ。

ヒロインはかなり自制しているので、このままゆるく少年の成長を見守り、最後は少年側から離れていくさまが爽やかに描かれるのではなかろうか。まぁ、キスくらいはしてしまうかもしれないけど。どうだろうか。

 

「恋のツキ」

恋のツキ(1) (モーニングコミックス)

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15歳男子高生×31歳社会人女性、

ショタではない(と思う。詳しくないけど)上に、どちらかというとショタおねというよりはおねショタ?に分類されるのだろうか。成人女性(ワコ)のほうが男子高生(伊古)にグイグイいったことにより肉体関係が成立したので。

しかし、一回り以上年齢差のある年上女性と年下男性が関係を持つと決して楽しいことばかりではないということがまざまざと描かれていて大変苦しかった。

特に、ワコが家で浴室掃除をしている姿を見て伊古が無意識に「お母さん」と呼びかけてしまうところ。埋められない年代の差。

あと伊古が同年代の女の子を夢に見たり、自分と同じくらい若い同年代カップルを見て悔しそうにしたりするところも辛かった。

しかもそれらのことをワコは知らない。

読み手としてはふらふらと男の好意を渡り歩くワコよりも青春を全て消費しつつある伊古のほうに肩入れしてしまい、終盤で二人が別れたときにはほっとした。しかし、大学生になった伊古はまだワコと続いていたという衝撃のラストを迎えてしまって「いやこれワコの妄想では?」と思ってしまったものだった。

 

猫と私の金曜日

猫と私の金曜日 1 (マーガレットコミックス)

猫と私の金曜日 1 (マーガレットコミックス)

 

男子小学生×女子高生。二人はいとこ同士。男子小学生の猫太が女子高生の愛にベタ惚れしてグイグイくる。これぞショタおね……なんだけど、どうも、猫太がイケメンすぎて小学生に見えないところが私的にはいまいちだった。それさえ目を瞑れば、というか「この子は小学生なんだ」と強く思い込むフィルターをかければかなりいけます。

描写はキスあたりまで。とはいえ、かなり頻繁に繰り返されるので「大丈夫なのか?」と心配になるほど。終盤になると互いの親も公認なのでショタおねについてまわる「後ろめたさ」「淫行」などの暗いイメージがほぼ皆無なところが逆にすごい。陽のパワー。

 

こうして書き出して思うのは自分にとってショタおねの魅力は

「絶対やってはだめなこと」「許されない関係」「犯罪であり罰せられる」が前提としてありながら、

「それでも少年の一途な姿にぐっときてしまう」というところ。

あと年上女性の反応に思い切り一喜一憂するショタの尊さ。

なのであまりハードなものではなくて、ピュアなショタの姿が見られるのであればむしろ恋愛が成就しないままどっちつかずな関係のほうがいい。

目下の悩みは、ショタおねで検索するとおねショタばかり表示されてしまうこと。

おねショタは「おもに年上女性が先導して少年を誘惑する」ものであり、私が求めるショタおねの「ショタが頑張って年上女性に振り向いてもらおうと奮闘する」ものとはかなり違う。まだ一緒くたにされているところが多いのだろうか。

しかし、あまりにジャンルが発展してしまうと性質的に取り締まりの対象とかになってしまうかもしれないという心配もある。複雑だ。

パスタが重い

パスタを食べると胃がもたれるようになってしまった。

食べたあとしばらく腹部に重苦しさが残る。小麦粉がいけないのかと注意しながらパンやうどんを食べてみたが、パスタがダントツでもたれる。

重さの順は

パスタ>>>>>うどん・ラーメン>パン>>>>白米

小麦粉を固めて乾燥させてあるのがいけないのだろうか。

あと茹でかた。アルデンテだともたれ度がマシマシ。

食べかたも。気をつけて食事をしてみると、パスタのときはほとんど噛まずに飲み込んでいるのに気づいた。

しかしアルデンテはゆずれない。乾麺パスタをくたくたになるまで茹でてしてしまうくらいなら最初からうどんをパスタソースに和えるほうを選ぶ。

よくよく噛んで食べ、量も少なめにする。ガーリックを効かせるのはほどほどにする。これを守ればあと数年くらいはパスタを食べられるだろう。

主食のなかでは一番好きだったのだけど。

そのうちお茶漬けかお粥をパスタよりも好むようになるのかな。変わりたくないことが変わってしまう加齢ってせつないな。

 

 

母と会うと具合がわるくなる

半年に一度会うか会わないかくらいの頻度でも、顔を合わせると具合が悪くなってしまう。母さん、どうしてナチュラルに毒をはくの。なぜわたしを愚痴のゴミ箱にしつづけるの。わたしに同調してほしいの?それを聞いてしんどくならない人間がいるの?たまには楽しいはなしだけを聞かせてほしい。それから飲食店にはいるならなにか注文してよ。朝ごはんが遅かったとか知らないよ。せめて飲み物だけでもいいから。恥ずかしくてしかたがないよ。

 

これをすべて本人に伝えられたらどんな気持ちになるだろう。

母はきっと謝るだろう。もしかしたら泣くかもしれない。だけど性質は変わらない。母を泣かせたというダメージだけを無駄に負いたくない。

 

四十も過ぎて母が父が言ってるのもどうかしている。

 

わたしは自分の子どもをちゃんと育てられる自信がまったくない。