「今夜はブギーバック」に懐かしさ感じます? 私はほぼゼロ
オザケンがフジロックで「今夜はブギーバック」を歌ったみたいですね。スチャダラパーと。
前に出してたライブアルバム以来だったのかな。何年ぶりだったのか知らないけど、そのニュースを見てもああ、そう、としか思わない自分に驚いた。
今夜はブギーバック、けっこうたくさんの人にカバーされてるよね。宇多田ヒカルとか、HALCALIとか、竹中直人(笑)とか。それをYouTubeで検索するとほとんどスチャダラパーもライブで一緒にやってたりする。
あと私自身も昔ともだちとカラオケでよく歌ったりしてた。ナイスボーカルバージョンとかあったよね。ラップのところをグダクダにやっても完コピしても変な雰囲気になったりしてね。
そういうわけで「今夜はブギーバック」をオザケン自身よりも耳にしている自信はある。だから久しぶりに聴いたという感覚がないし、懐かしさがない。ほぼ毎日会っている人にどこかでたまたま会っても「久しぶり~!」とはならんよね。
フジロックにはコーネリアスも出てたんでしたっけ。フリッパーズギターの曲をやってたら大熱狂したかも。
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男に竹原ピストル、女に大森靖子
大森靖子のファンはネットでときどき見かけて熱狂ぶりに若干引いてた。熱心な信者がたくさんいるカリスマアーティストなんだろうと思ってた。
こないだ初めて歌を聴いた。
「あたし新宿が好き 汚れてもいいの」
「ove 30 おばさん 鏡の前でちょっとましにやっている」
「進化する豚 おまえの国の言葉なんて知らない」
気がつけば口ずさんでしまうほど、大森靖子は簡単に心のなかに入り込んできた。
おおもりやすこではなくせいこと読むことも知った。
人生において重大な出来事かどうかを判断するときに、それを経験する以前と以後の差異を考えてみることがある。それがなかったら、それを知らなかったら、どれだけ考え方や状況が変わるか。
少なくとも今の私は大森靖子をもっと聴いてみたいと思うし、上にあげたフレーズをとくに気に入っている。
歌詞もいいし声もいい。
彼女のシャウトはとても心地よい。
大森靖子が女の子の夢、女の人生を歌っているアーティストだとすれば、対照として存在するのは竹原ピストルだろう。
人生の合間に寄り添える歌に出会えることは今まで生きてきたご褒美みたいなものだ。
機種変なんかしたくない
スマホも、パソコンも、できればずーーーっと同じものを使い続けていきたい保守派。新しいものに取り替えればそりゃサクサク軽快に処理できるけど、めんどくさいのよーーー。またアプリやら何やら入れ直して、設定して、何だかんだするのがほんとーーーにめんどくさくて嫌。
そんなに嫌なら変えなきゃ済む話なんだけど、最近夫がスマホを変えると言い出して、家族で同時に変えると割引がきいて得だから!とやたらめったら言ってきてうっぜーーーってなってる。言葉汚くてごめんなさいね。汚い感情は汚い言葉で表さないと気が済まないの。
一万円くらい安くなるからって、そこに無駄な手間を強要されるのがとにかく嫌!今使ってるスマホが最良だとは思ってないけど、あと2年くらいならどうにかこうにか使えるし、何より不本意な機種変なんてしたくないんで!と毎日毎日断ってる。頭おかしいよね実際。一ヶ月くらい同じこと言い合ってる。たぶん一生わかり合えない私とあいつ。
整形に初興味
今まで美容整形に全く興味がなかった。自分の顔に不満がないわけではない。気になるところはいくつもあるから、1ヶ所だけでは絶対におさまるはずもないし、何よりそんなお金はないし。
だけど最近とても気になるところがでてきてしまった。額のシワ。最近やたら目立つ。鏡を見るたびにそれがあるってことは、普段もそれがあるってことだ。このシワがものすごく年齢を感じさせて我ながらきつい。かといって前髪をつくって隠すのも難しい。髪型的に。本当に、いつのまにこんなにシワが!というくらい急激にきた。もしかして、ダイエットのせいなのか?皮が余ったとか?
マッサージなども自力で試してみるけどもあまり効果がない。ヒアルロン酸とか打たないとだめな感じなのだろうか。
あーでも加齢に抗っても仕方がない、と98パーセントくらいの私が言う。
愚痴only
馬鹿馬鹿しい馬鹿馬鹿しい。いや、馬や鹿のほうがものがわかるくらいかもしれない。傍若無人にもほどがある私は家政婦でも使用人でもない母親というものであるとしても、あるとしてもだあまりにも消費されすぎてもうぼろ雑巾のようだ。気に入らなければ大声を出して泣く、というのがいかに無駄で逆効果なことかいつになったら理解するのだろう。冷静に言っても同調しても傾聴してもだめ無視してもだめ何度も何度も繰り返す所業に私は宇宙まで飛んでいってしまいたくなる。子供ってある程度もっとこう勝手に育つイメージが漠然とあったのだけど全く違った。私の子供の頃とも夫のそれとも全くちがう未知すぎる人間を前にしてなすすべもない。たとえ彼の視界が霧だらけだとしても、その霧のなかをどう導いてあげるべきなのかわからない。手がかからなくなる日が来るなんてこの子にとっては幻想だ、絶対にそうだ、希望なんて私は持たない。
40歳は初老だそうです
例によって夫と『どちらがより疲れているか』という不毛な論争をしていたのだけど、そこで私が思わず放ったひと言、
『私なんて初老なんだからね!』
に我ながら歳を実感したというか、初老か…初老なのか…といつまでも『初老』が引っ掛かっていた。
スマホに打ち込んでみたら、
『初老とは、40歳の異称。』
とでてきてさらにのけぞった。まじか。まじでか。私、まさに初老だったのか。そうか、初めての、老い…。
初老なのにいつまでも子供みたいな考えを捨てきれないのが本気で不安といえば不安。大人って、初老ってもっとみんなしっかりしてるイメージがかなりある。でもそういう人って、子供のころからわりとずっとしっかりしてるんだよね。予定を立てたり、計画に沿って行動したり、周りとうまく交流したり。そう考えると私はずーーーっとしっかりしていた記憶がない。子供の頃はいわゆるテスト勉強などは得意だったけど、機能不全家庭だった影響かちょっとした忘れ物が多かった。鍵っ子なのに鍵を持っていくのを忘れるという致命的なミスを繰り返してた。鍵がなくては当然、家に入れない。御近所付き合いもなかったからそういうときに行く場所もない。当時は学童なんてサービスもほとんどなかったし、親もきっと学童自体を知らなかったと思う。鍵はないけどなんとかして家に入らないといけない、と一階の上の方にある小さい窓を長いものでこじ開けて(鍵はかかってなかった)まずランドセルを投げ入れ、よじのぼって身体をねじこむという無茶をしていたのを覚えている。たまたま最初がうまく行ってしまったためにまた鍵を忘れて何度もそれを繰り返していた。今思えばあんなのは絶対におかしい。まず鍵を忘れたことを事後報告でもいいから親に伝えるべきだし、それを聞いた親は子供が鍵を忘れないように注意すべきではなかったのだろうか。
考えれば考えるほど、私は愛が足りていると感じたことがないというのに気づく。それは今の自分が周りに与えている影響ともつながっていて、要するに私は子供をちゃんと愛せている自信がない。自分が子供の頃に親にされたことをそのままコピーしている気がする。私の親はいつも自分のことで一杯で余裕がなかった。母はひどく感情的だったし、父は酒ばかり飲んで寝てばかりいた。
あんな家庭をつくるつもりじゃなかったのに。愛を持ちたい。なんだろう、宗教にでもすがりたくなるけど、それはそれで違う、絶対に違うと昔の私が制止する。
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人はどういうときに光って見えるのか
小学生(!)で恋に落ちる少女と少年の物語。
そのなかでとても気になる描写があった。
ヒロインの夏芽が夜の海でコウちゃんを初めて見たときに、ものすごく光っていたのだ。浜辺からあがってきて半裸だったとはいえ、夜の海ってものすごく暗いのに。すごいキラキラと。その後も夏祭りで天狗の面をかぶって大暴れをするコウちゃんを見ては「あ…また…!」とばかりにキラキラを感じ、夏芽は『わたしの神さん』とばかりに恋に落ちる。
コウを好いている女の子は夏芽のほかにもいる。太った容姿で冴えないカナちゃん。そしてカナもまた、コウを好きな理由が「光って見える」からで『わたしの神さん』、夏芽と丸かぶりである。
しかしそのコウちゃん、家柄は確かに地元一の資産家である意味『神さん』みたいなものだけど、ひどく暴力的。気まぐれ。女は自分を慰める道具としか思っていないようなところも見受けられる。夏芽に対する態度もコロコロ変わる。読者としては何一つキラキラルを感じられないのである。
それで頑張って自分の体験を思い出そうとしたのだけど、異性がキラキラして見えたことってほとんどない。夫に感じたこと、ない。付き合った人に感じたことも、ない。女性はたまにキラキラして見える。表情や話し方がすごくイキイキしてたりとか。あ、息子はわりとキラキラして見える存在なのかもしれない。うれしいときに跳ねながら目をくりくりさせているときとか。
うーん、異性で、キラキラ……。
あ、思い出した。ライブで見た岡村ちゃんはすごいキラキラしてた。汗がね、すごかった。ああいうのを見てクラッとする感じかー。そりゃ人生がめちゃめちゃになるような恋に落ちてしまうかもしれない。