他の客が返品した牛丼がまわってきたら
子供がどうしてもお子様すきすきセットのおもちゃが欲しいというのですき家に行った。
大人はすき家の気分じゃなかったので子供のだけテイクアウトで注文。
休日のお昼時だけあり客も多く、かなり待つ。
待ち時間に、ある女性客が入ってきた。すき家の袋を手に下げている。そして店員に
「お子様すきすきセットの持ち帰りをカレーライスで注文したのに牛丼がはいっていた」と告げた。
注文違いで入れられた手付かずの牛丼は返品。カレーライスを作り直すことに。
順番的にそれは最優先で実行され、女性客は注文通りの品を手に店を出ていった。
カウンターのなかはずっと大わらわで、厨房のスピードもなかなか注文に追い付かない様子。
横一列にずらりと並ぶ注文伝票。その一枚を見て、店員が厨房に告げた。
「●番のセット、これ、あるから。リンゴだけお願い」
そう言って先ほどの女性客から返品された牛丼を袋に詰める。
おいおいまさか。
このあたりで不安がよぎった。
いやいやまさかね。
普通に、一部始終を見ていた客の前でそんなまさかね。
「お待たせしました。お子様牛丼すきすきセットです」
あー。
こういう嫌な予感ばかり当たるのなんでかな。
ここは言うべきか。
『これさっきほかのお客さんから返品されたものですよね。イヤなんですけど』って?
そもそも何がイヤなのか?
気分的に…だろうか。
もしここで拒否したら、この牛丼はどうなるだろうか。廃棄?それとも店員がまかないとしてでも食べる?
あなたならどうしますか。
私は…
すごく、拒否したかったんですけど、やめました。面倒さ半分、あきらめ半分といった気分でそれを受けとりました。
衛生面でどうかなとも思うけど、さっきの女性客、見たところ自分と同じような小さい子供のお母さんで、普通に清潔そうだったし。件の牛丼もまだ完全に冷めきってはいないようだし。と自分に言い聞かせながら。
あとからすき家にクレーム入れるのも面倒でしていません。まぁ、こうやって人目に晒されるところに書いちゃってるけど。
しかし何だな、あれだけ目の前で、大きな声で横流しするってのは、もしかすると店員は全く悪気がない可能性が高い。
こちらもそれに驚いて何て言えばいいのか分からなかった感は、ある。
「そうですけど、それがなにか?」って返されたら、嫌な理由を並べ立てなければならず、モンスタークレーマーになりかねない。
忘れようって決めたのに思い出すとやっぱりもやもやする。
問題の牛丼、いつも少食な息子が不穏な空気を察してか珍しく完食してたのが泣ける。
愛より何より欲しいもの
私には夢も希望もないとつくづく思う。絶望しているのではない。最初から、希望がない。こういう暮らしをしたいだとか、ああいう仕事につきたいとか、どんな人間になりたいか、そういうのが思い浮かばない。意識が低い。ただ寝て食べるだけ。時間を右から左へ流していくだけ。ムーディー勝山のネタそのもの。一日の過ごしかたは一生をあらわす。まるで虫のようだけど、彼らのほうが私よりもずっと勤勉に見える。きっと虫のほうが真面目だ。
私はといえば、夢や希望はもたないくせに暇つぶしには貪欲。なぜ暇なのかといえば夢や希望がないからで、もはや夢や希望を見つけること自体が命題になっている感じすらある。
手にしたことがないものに夢見て焦がれる気持ち。まるで恋に恋しているようだ。だけど恋とはちがって完全に自分ひとりで見つけなくてはならない。命が尽きる前に見つかったらラッキーくらいの勢い。出現率何パーセントかだけでも教えて神様。
ストロングゼロはもう飲まない
ひどい目に遭った。
自分で飲んだのだから「遭った」というのも違う気がするが、とにかくひどい酔い方をした。
飲んだのはストロングゼロ。350ml缶をふたつ。味はビターレモン。
最初の1缶はとても楽しく飲んだ。2缶目もそこそこ楽しくのんだ、と思う。しかし記憶が曖昧。
そのあとお風呂に入った。これがいけなかった。
風呂から上がったあと、盛大に吐いた。ちゃんとトイレに行ったからセーフとしておこう。そのまま死んだように眠った。朝方5時くらいに目が覚めて、吐いた気がするけどそれが現実なのかわからないほど記憶がぼんやりしていることに気付いた。
朝はなにも食べられなかった。
これまでお酒を飲んでも二日酔いになったことはなかった。だから自分は二日酔いしない体質なのかと思っていたけど、ストロングゼロによりそれはあっさりと覆された。
立って何かしようとすると吐き気がし、お腹が下り続けて何度もトイレに行った。それからずっと横になって、昼前にやっと回復しはじめて梅干しを食べた。吐き気はまだあるけど、やっと人間活動を取り戻した。
以前、自由を味わいたくてタバコを吸って盛大に吐いたことがある。
それからタバコを吸いたいという気持ちさえ抱くことはなくなった。
それに近い思いを今ストロングゼロには抱いている。
350mlの缶がまだ二つもあるけど、処分してしまいたいほど。誰かにあげようか、だけどそのせいでひどい経験をしたら申し訳ない気もする。やっぱり捨てるしかないかもしれない。
歌番組のワイプで口パクする芸人
「クリスマスに聴きたい歌ベスト100」なんてVTRが流れるときにワイプで出演者が歌に合わせて口パクする文化。あれなんなんだろう。誰がやりだしたんだろう。昔は見かけなかった気がする。そもそも昔の歌番組って生放送でほとんどVTRを流さなかったから、口パク芸人も存在しなかったのかな。
口パクすることによって得られるものはなんだろうか。
メリットがあるから口パクしてみせているのだろう。
- この歌が好きアピール
- こんな古い歌を知ってるアピール
そんなところか。
ワイプに映りこむからには目立ってなんぼの芸能界。真顔でいたり、周りと喋っていたりするよりは「視聴者といっしょにVTRを楽しんでいるアピール」ができるのかもしれない。
しかし口パクを見ると苛立つのもまた事実。
VTRの歌が本当に好きで思わず口ずさんでいる、のとは程遠いから。ワイプで口パクする芸人はどの歌でもする。やればやるほどイメージアップにつながるのだと信じこんで、または教え込まれて口パクをする。
こちらは口パクが気になってテレビ画面の一部を物理的に覆いたくなるほど。いっそワイプなんてなければいいのに。だけど、たまに口パクアイドル達のなかで浮きまくっている真顔のアーティストを見るのは好きだ。そう、地蔵のようにただVTRを見まもる姿は本来であればかなり自然体。表現者としては貴重な素顔なのだ。たまにワイプに抜かれたこと自体に驚いて照れ笑いする人もいて、それもわりと好き。ワイプがなくなったらそういう瞬間も見れなくなってしまうのか。口パク芸人は滅びてほしいけれど、ワイプが完全になくなったらすこし寂しい。
「お節介なオバサン」という幻想について
「監獄のお姫さま」最終回。
今までわちゃわちゃしてただけだったのが、最後でどっと畳みかけてきた。ものすごい勢いで風呂敷たたんだ。というか、クドカンが単に「わちゃわちゃしてるオバサン達」を描きたかったんだろうなというのは伝わってきた。
総合的には面白かった。けれど、連呼される「オバサン」の回数が多すぎて終盤うんざりしてた。周りだけじゃなく、本人たちも「オバサンだからしょうがないじゃない!」というセリフが多かったんだよね。
このドラマでは、お節介なオバサン達の行動がすべて。
「姫」に協力し、育児を手伝い、出所してからも姫の復讐のために再犯までして危険を冒す。
なぜそこまで「姫」にお節介を焼きたがるのだろうか。まずそこがわからなかった。
姫を演じているのが夏帆、だから尚更。
夏帆のように天然色白美人でぼんやりしている人は男性からしたら確かに「守ってあげたいお姫さま」なのではないかと思う。だがわたしは夏帆がきらいだ。いや、夏帆という女優さん自身は好きでも嫌いでもないが、夏帆がまとうイメージがきらいだ。
実際四十路のオバサンであるわたしが思い浮かべる「姫」のイメージは、藤原紀香のように自分の美意識に絶大な自信をもって突っ走っているような人だ。
まぁ、そういう個人的な好き嫌いはともかくとして。
オバサンの1人に惚れる検事のノブりんが最終回でこんなことを言った。
「若い子はいつかオバサンになっちゃうけど、かわいいオバサンはもうそれ以上オバサンになることはないんだ(だからババカヨが好き)」
なんだかなー。
オバサンというレッテルにこだわりすぎじゃないのかね、クドカンさんよ。
オバサンだからわちゃわちゃしてる、とか、オバサンだからお節介焼きたがるとか、ちがうからね。
わちゃわちゃしてる人は若い頃からわちゃわちゃしてるし、お節介焼きたがりな人は若い頃からそうなのよ。
オバサンになったからってオバサンっぽい性格にはならないの。
あたりさわりのない世間話が得意にならないオバサンもいるし、ずっと人見知りでわちゃわちゃするのが苦手なオバサンもたくさんいるんだよ。クドカンめ。
続かないのが幸いだった
ホルモンバランスのせいで、とつぜんなにかに熱中しては冷める、というのを毎月くりかえしている。
今回のは飲酒。
一週間くらい毎晩強いお酒を飲み続けてしんだように眠っては夜中に目覚めて吐き気と戦っていた。飲んでいたのはラム酒。牛乳や炭酸水で割って浴びるように飲んだ。ストロングゼロだったなら空き缶がわかりやすく増えるので罪悪感がより増したかもしれない。しかしこのままではアル中まっしぐら、と危機感をおぼえたあたりで雲が晴れたようにアルコールへの欲望がすっかりなくなってしまった。ホルモンバランスのおかげというか、しわざというか、持続しないことで救われた例だった。
PMSあるいはホルモンバランスによってわたしの心身があやつられている気がする。大きな波がおそってきてなすすべもなく流されるように人生はすすむ。
人生つらいから楽になる薬がほしい
人それぞれ生まれ持ったパラメータや環境がちがうから、もっとひどい状況を耐えられたとか打破できたとか関係ない。夫のことも子供のことももうなにも考えたくない。自分のことも全部捨てたい。明日からあなたは全く新しい生です、もしくはここで行き止まりです、はいおしまいということならよろこんで受け入れたい。もうなにも考えたくないのだ。ただ漫然と毎日を送って生きていけるならそれでいい。だけどちょっと耐えられない。夫のこととか、子供のこととか、人生のこととか。
独身で借金を重ねていた頃と気持ち的には変わらない。真綿で首をしめられるってこういうことをいうのか。この先明るい未来がなにも見えない。
だけどテレビもネットも輝いているひとばかりが目にうつる。みんな悩みながら、人と関わりをもちながら、影響を与えながら懸命にもがいている。美しい。そんな姿を見ると胸をうたれる。一方、わたしはただできるだけ先送りにしながら色々な面倒なことを見ないふりしているだけ。
もうLINEのグループ会話もみたくない。わたしはそこに入り込めない。認知すらされていない。当然だ。なるべく存在感を消してきた結果だもの。通知もきりたいくらい。子供のこと、夫のことでわたしの人間性はどんどん失わざるを得ないような気持ちになるのはなぜだ。望んでいないことを許容したくない。ただ心がせまいだけかな。